表具・表装に使う刷毛についてのご質問に、Yahoo!知恵袋でお答えしたことがあります。
他の方からの回答も付かず、回答締め切り後も質問者さんからは評価を頂けなかったので投票になり、結果的にはベストアンサーになりましたが、質問者さんのお役に立てたのかどうかわからず、回答者としてはちょっと残念でした。
そこで、言葉足らずだった部分も含めて、表具・表装で使う道具の大切さと選び方のポイントを何回かに分けてお伝えしようと思います。まずは刷毛について。最後まで読んでいただければ、刷毛選びに迷うことはなくなると思いますよ。
まずは訂正と補足から
まず、上記のご質問に対する回答を少し訂正します。
「糊刷毛は豚毛、水刷毛は熊毛、撫刷毛は棕櫚というのは基本」とお答えしましたが、初心者の方が扱うことを前提としています。我々が扱う糊刷毛は熊毛、山羊毛、狸毛、豚毛など多様です。水刷毛は鹿毛の方が一般的です。ちなみに「熊毛」というのは馬の尻尾やたてがみの毛で、本物の熊の毛を使っている訳ではありません。
豚毛の糊刷毛(切継刷毛)は熊毛と比べて安価で扱いやすく、化学糊を使うことの多いカルチャー教室などでは薦められることが多いようです。ただ、化学糊の使用を前提で考えると、お手入れが簡単なナイロン系の刷毛も選択肢に入ると思います。
また、我々が使う一般的な水刷毛は鹿の夏毛ですが、カルチャーセンターの表装教室で行う工程ではまず水刷毛自体を使わないと思うので、水糊用の糊刷毛を水刷毛と呼んでいるのだと考え、水の含みの良い熊毛の糊刷毛を薦められているのだと思います。ただ、これも、化学糊の使用を前提に考えますと、ナイロン系の厚口の糊刷毛が良いのではと思います。
最後に「撫刷毛」ですが、撫でる対象によって棕櫚や津久を使用した硬いものや、羊毛や鹿毛の柔らかいものに分かれます。カルチャーの表装教室で使うなら、裏打ちに使う棕櫚刷毛でしょうから、「撫刷毛は棕櫚が基本」とお答えしました。
表具師が使う刷毛 – 工房、刷毛を選ぶ
「弘法、筆を選ばず」とは、弘法大師のように書に優れている者なら筆の善し悪しは関係なく良い字が書けるという意味で、達人の域に達すればどのような状況でも失敗しないという意味のことわざですね。
自分の技量不足を道具のせいにしてはならないとか、失敗を周りの環境のせいにしてはならないという戒めとして使われる嫌なことわざですが、実際、お大師さまは適材適所で筆は選んでいらしたようで、良い作品を生み出すには、書く場所や書体によって最適な筆を選ぶことが大切だとする手紙も残っているそうです。
もちろん、どんな道具でも最高の結果を出せる技術を持つのは理想かも知れませんが、多くの場合、技術ではカバーできない差というものが道具の良し悪しにあるのも現実です。
表具・表装で使う刷毛
当店で使っている刷毛については、Twitterにも投稿したことがありますが、作業に合わせて毛の材質や硬さ、刷毛の幅や厚さなど、最適なものを選んで使います。
各作業工程でどのような刷毛を使うか、具体例を挙げて紹介しますね。
裏打ちで使う刷毛
作品本紙の裏に紙を貼り付け、しわやたるみを防いで補強する作業を裏打ちと言い、表具作業の基本技術なのですが、これに使用する刷毛も何種類かあります。
本紙が紙の場合だと、本紙を湿らせてシワを伸ばす羊毛の撫刷毛か鹿毛の水刷毛、裏打ち用の美濃紙に薄い糊を塗る水糊用の熊毛の糊刷毛、裏打ち紙を本紙にしっかり貼り付けるのに使う棕櫚の撫刷毛(棕櫚刷毛)と3種類の刷毛を使います。
また、本紙が絹など布の場合や、軸装や額装に使う裂の肌裏打ちでも、上記と同様の3種類の刷毛を使いますが、裂の縦横の糸をそろえるのに使うのは毛足が短く腰のある熊毛の糊刷毛、美濃紙に濃い糊を塗る糊刷毛は水糊用とは異なりますし、狸毛の扱き刷毛を使うこともありますので、こちらも3~4種類の刷毛を使います。
このように裏打ちの工程だけで合計5~6種類の刷毛を使い分けています。
掛軸の仕立に使う刷毛
裏打ちした本紙や裂をつないで掛軸の形に仕立てる工程を切り継ぎと言います。この工程では付け回し用に熊毛や狸毛、豚毛の糊刷毛(切継刷毛)が必要になります。
切り継ぎを終えて宇多紙で総裏を打つ工程では、耳糊という濃い糊を塗る糊刷毛と、紙の本紙の裏打ちと同様に薄い糊を塗る水糊用の糊刷毛、棕櫚刷毛、そして総裏打ちの最後に使う棕櫚の打刷毛も必要になります。
そして最後の仕上げにも別の切継刷毛は使いますので、仕上げまでに多い時で8本から10本の刷毛を使います。やはり良い仕上がりを目指すなら、適材適所で使う刷毛の本数も多くなりますね。とはいえ、手に馴染んだ使い勝手のいい刷毛は複数の工程で使いまわすこともありますので、常用の刷毛は5~6本でしょうか。
その他の作業で使う刷毛
襖や障子、屛風、衝立、額を仕立てる際に使用する刷毛も、水刷毛、下張りで使う糊刷毛と棕櫚刷毛、上張りで使う水糊用の糊刷毛と廻し糊用の糊刷毛、撫刷毛など、作業に合わせて毛の種類や毛足も様々です。また刷毛の幅は掛軸用の5寸や6寸に対して、8寸や1尺など大きなものも使います。
その他、箔を扱う仕事で礬砂引きに使う礬砂刷毛、ビニールクロス用の撫刷毛もあり、本当に多種多様な刷毛を使うんですよ。
道具選びのポイント
では、カルチャーセンターなどで初心者の方が表具・表装の練習を始める時に、いきなり我々表具師が使うような本格的な道具をそろえる必要があるのでしょうか?
もちろんそういう考え方があることは否定しませんが、どちらかと言いますと、私はそうは思いません。実際私も子供の頃は、祖父や父の使う本当に良い道具には触らせてももらえませんでした。
良い道具は手入れも大変です。初心者の方は作業スピードが遅いので、カルチャーセンターの表装教室のように時間が限られた場所では作業終了がギリギリになってしまい、手入れに掛けられる時間が取れず、中途半端になってしまいがちです。特に刷毛の場合、中途半端で片付けたまま1~2週間(ひどい時には1ヶ月)経つと、次に使うときにはカチカチに固まっていたり、カビが生えていたりと、季節によると悲惨な状態になっていることも……。これでは良い道具も無駄になります。
教室終了後、速やかに家に帰って道具の手入れをするという習慣を付ければ悲劇は防げますが、初心者さんには手入れが簡単で、失敗してもリカバリーができ、ダメになっても勿体なくない価格帯の道具を使い、作業時間をしっかり確保する方が上達も早いです。作業速度が上がり、片付けの時間がしっかりとれるようになったら、手入れの方法もしっかり修得した上で、よりよい道具にステップアップすれば良いのではないでしょうか。
さらに、良い道具にはクセがあります。初心者の内はそのクセに振り回されないよう、作業レベルにあった汎用性の高い道具を選び、ある程度の自信がついたらステップアップするというのがお勧めです。
刷毛のお手入れについては、またあらためて。
まとめ
道具の話 第1弾、いかがでしたでしょうか?
カルチャーセンターの方針もあり、最初から決められたセットを(割と高値で)購入しなくてはならないところもあると思います。その時は潔くあきらめて、その道具を使うしかありませんが、道具の良し悪しを見る目も技術の向上とともに育つので、まずはクセもなく手入れも簡単な初心者用の道具から始めてみることをお勧めします。
とにかく手を動かして作業に慣れることが上達のコツです。初心者用の道具でも、それを使いこなせれば立派なものです。道具の扱い方や手入れの方法を身につけながら、自分の作業スタイルに合うように、初心者用の道具から少しずつステップアップして行くと良いでしょう。
道具選びに迷ったら、お気軽にご相談くださいね。
おまけ
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ご紹介した【写真AC】以外にも【イラストAC】や【シルエットAC】といった無料素材のダウンロードサイトも運営していらっしゃるので、興味のある方は一度覗いてみてくださいね。
以上、おまけのコーナーでした。
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